おはようございます。
今朝のアレクサの「今日は何の日?」
3月7日は消防記念日です。1948年のこの日、消防責任や消防機関の構成などの法律である消防組織法が施行された事にちなみ制定された記念日です。この法律によって市町村長が消防を管理するようになり、各市町村に、消防本部、消防署、消防団を設置することが義務づけられました。
消防記念日には、各都市で消防記念日式典が毎年、開催され、貢献した方を表彰していましたが、今年はコロナウイルスの感染予防拡大防止の為、各表彰分野の代表者等に限定して挙行する様です。楽しみにしていた方は自治体のHPでチェックを。
被災者から抜けられない?
働かなければ補償される?
「感謝の気持ち」と良心?
被災者という弱者の利権?3.11の災害からもう10年が経過しましたが、先月、「東電、原発賠償額が10兆円超へ」という報道がありました。未だに仮設住宅で苦しい生活を送る人がいる一方で、東電からの賠償金で優雅に暮らす被災者も存在し、近隣住民と軋轢が問題になっています。
東電からの賠償金は国民の税金も含まれている訳で、賠償金で必要以上な豪華な新築をしたり、高級外車に乗る事は目的が異なります。被災された方は気の毒だと思いますが、その恵まれすぎた補償内容には、疑問も上がっています。ネット情報では、「世帯主の月給が30万円で5人家族ならば、月80万円が受給出来る」と言われており、一流企業社員なみの保証金が支払われている現実がある様です?
高級外車は以前からの持ち物だという指摘もある様ですが、現実に震災後は、建設業界のバブルもあるとは思いますが、「いわきレクサス」が販売台数全国1位を獲得した様です。
個人のお金で何を買おうが自由ですが、賠償金という意味を履き違えている気がします。また、タクシー運転手の話によると、被災者が毎日の様にパチンコに出かけ、「今日は10万円負けた」と言いながら、繁華街へ消えてゆくと言います。
生活を一変するほどの高額な賠償は、生活保護以上に勤労意欲を無くしてゆきます。これでは、一般住民との間に軋轢が生まれるのは当然です。
また、賠償は原発からの距離で決められている事もあり、手厚い賠償金を得られる地域と得られない地域が隣合わせの地区では被災者同士の軋轢も生まれています。
日本は災害の多い国です。災害においての補償制度は見直す必要がありそうです?
◆仮設住宅にBMWやレクサス 「原発補償金」ジャブジャブの日常的荒廃◆
「東日本大震災から4年。原発事故は収束せず、今なお8万人の避難民が不自由な生活を強いられている。だが、避難先の生活では地元住民との軋轢も生じ始めた。その原因は賠償が生む不公平感だという。
福島第一原発から南に40~50キロ離れたいわき市。人口33万人近いこの都市には目下、約2万4000人の避難民が居住している。補償金を得る権利を持つ者と持たざる者との確執がいつ表面化してもおかしくない場所が、いわき市中央台の丘陵地帯に広がっていた。
「ここには、高台に広野町からの避難民が住む仮設住宅があり、その下に楢葉町の仮設住宅、そして真新しい一戸建てが立ち並ぶ新興住宅街が、整備された通りを挟んで並んでいます」
と語るのは、広野町から逃れ、仮設住宅に住む60代の男性だ。「広野町の住民への精神的賠償は、原発から20キロ圏外ということで、2012年の8月に打ち切られました。月の収入補償も避難指示解除に伴い、翌年末に終了した。一方、原発からの距離がわずか数キロしか変わらない楢葉町の連中は、未だに手厚い補償をもらっている。同じ仮設住宅に住む身とはいえ、待遇は雲泥の差なのです。向こうの仮設住宅の駐車場にはBMWやレクサスなどの高級車が並んでいる。そしてすぐ近くの新興住宅街は、3年前までは原っぱだったのに、あっという間に新築の一軒家が隙間なく立ち並んだ。補償金をもらっている避難者が購入したものが多いといいます。こっちは生活に四苦八苦しているのに……。なんでこれほどの“経済格差”が生まれるのか、納得がいきませんよ」」
デイリー新潮 https://www.dailyshincho.jp/article/2015/03240645/?all=1
◆Youtberの闇のクマさんもこの問題を取り上げています。
【原発事故から10年『福島に帰らない方が儲かる』】いつ迄も被災者ヅラして補償金に甘えている奴らがいる!「高級車買いました♪」「200坪新築です♪」それ国民の増税分と電力料金上乗せ分だぞ!https://youtu.be/PIPpdZvQgfI
就労不能損害補償+失業保険も?
「就労不能損害補償」である。就労不能損害補償とは、原発事故が無ければ入ってきたはずの収入と、原発事故後に得た収入の差額を支払う補償である。
つまり、仕事をしなければ事故前の収入が丸々入ってくる。しかし新たに仕事を始めればその分が差し引かれ、結局、仕事してもしなくても同じなのだ。
さらに期間内であれば、失業手当は別にもらえる訳だからむしろ、仕事などしない方がいい。言うまでもなく、本来この補償の意図は原発事故によって仕事を失い、仕事をしたくても新たな仕事に就けない人の為のものであるが、仕事をしなければお金がもらえるという、結果的にこれを逆手に取った被災者も生み出してしまう。(「被災者の本音 あとがきに代えて」より)
被災者が働けないのか?働かないのか?判断は出来ませんが、被災者の中には関東地方へ移住し、逞しく生活している方も大勢おり、被災者格差は広がるばかりです。一般国民が手にする事が困難な高級車に乗る事でどんな混乱を招くのか?想像して行動して欲しいものです。
「感謝の気持ち」と良心?
多くの記事で指摘されていますが、大事なのは「感謝の気持ち」で、被災時に食べた1杯の水や1個のおにぎりの味を忘れてはいけません。弱者を批判する報道は一切されないので、この状況は半永久的に続くと思いますが、賠償金は電気料金にプラスされており、国民が支払っています。
東電は「個別のやむを得ないご事情により、就労が困難な状況にある方につきましては、個別のご事情に応じてお取扱いをさせていただきます」と発表し、被災者の性善説に頼っている現状です。
被災者の中には、生涯賃金を上回る保証金を得ている方も存在する様です。
保証金漬けにならない為にも、どう見ても働くのが困難な高齢者や障害者を除き、5年から段階的に変化させ、10年を限度とすべきです。
人間にとって、不労所得は理想の生活であり、欧米諸国がアジアを植民地化したのも、自分達が労せず、収入を得る為です。
生活保護も同じ様な問題を抱えていますが、全て自己申告なので、他人が口を挟む事は出来ません。一方で、仮設住宅で暮らす人の中では孤独死する方もいます。
お金による補償以前にに、仕事の斡旋や社会との繋がりを促す制度が重要かもしれません?
今度は自分が被災者になるかもわかりません?
「感謝の気持ち」を忘れずに生活したいと思います。