明太子」タグアーカイブ

1月10日。110番の日、明太子、レバノン支援?





おはようございます。

今朝のアレクサの「今日は何の日?」

今日は「110番の日」です。

「今日は110番の日です。1、1、0の語呂合わせから制定されました。1948年に始まった110番ですが、地域によって番号が異なっていました。1954年に、全国で110番に統一されました。」
出典:今日は何の日~毎日が記念日~

110番について改めて調べてみると?

「110番(ひゃくとおばん)は、電気通信番号規則により日本の警察機関への緊急通報用として定められた電気通信番号(電話番号)である。 当初は東京都区部・大阪市・京都市・横浜市・川崎市・名古屋市・神戸市・福岡市の8都市のみでスタートした。東京は110番であったが、大阪・京都・神戸は1110番、名古屋は118番と全国統一はされておらず、1954年(昭和29年)7月1日の新警察法施行をもって110番に統一された。」

110番が地域によって異なるとは知りませんでした。当然、統一されるべきですね。
生涯通じて、110番をした事は、車での自損事故の時だけですが、オペレーターが親切に対応してくれた事を覚えています。

明太子の日です。

福岡の食品会社・ふくやが制定。
「1949(昭和24)年のこの日、前年のふくやの創業以来研究を重ねてきた『明太子』を初めて店頭に並べ、福岡名産『からし明太子』が誕生した。
明太子は助宗鱈(介党鱈)の卵(鱈子)の塩辛で、元々は朝鮮半島に伝わる家庭の惣菜だった。これを日本人の口に合うように味附けして、からし明太子が作り上げられた。この日とは別に12月12日も『明太子の日』になっている。」

ふくやとは?

「昭和23年(1948年)10月5日、博多・中洲の一角に小さな食料品店が生まれました。当時博多の街は戦災で焼け野原となり、少しずつ復興の兆しが見え始めたころでした。
店主の名は川原俊夫。妻・千鶴子とともにはじめたこのちっぽけな店が、その後半世紀以上つづく『ふくや』の歴史のはじまりでした。俊夫は戦時中の幼少期を韓国の釜山で過ごしましたが、そこでの庶民の食べ物『たらこのキムチ漬』の味が忘れられず、戦後引き揚げた博多でその味を再現すべく、創意工夫を重ねていきます。そして昭和24年1月10日、商売繁盛を願う十日恵比須神社大祭の日、日本で初めて『味の明太子』を売り出しました。
出典:ふくや http://www.fukuya.com/


明太子というと「やまや」も有名だが?

創業者の川原さんは特許などを取得することなく同業者へ製造方法を教えたため、様々な種類の明太子が生み出され、現在博多名物として定着していったと言われています。」

明太子と聞いただけで、白いご飯が欲しくなります。食卓に明太子があると、食欲が進みますね。明太子はスパゲティ他、様々な料理に使われており、今や国民食です。さて、今晩は、明太子食べようか?
それにしても創業者が特許を取らず、同業者に製造方法を教えたあたりは、創業者が人格者だった事がうかがえます。結果的にお金儲けには失敗したかもしれませんが、創業者の名前は永遠に残る事となるので、会社としては良かったのではないでしょうか?

レバノン政府はカルロス・ゴーンを引き渡すべき。

一昨日のカルロス・ゴーンの自作自演会見の様子が伝わってきています。

多くの日本のメディアは締め出された様ですが、彼の本性が透けて見えます。
自分で選別した記者団しか入れないあたりはお隣の国と同じですね。

国民のほとんどが、カルロス・ゴーンの逃亡に怒りを感じ、資産家なら法で裁かれる事は無いのか?と遣る瀬ない思いをしていると思います。

政府も、検察も異例の声明を出していますが、カルロス・ゴーンの「逃げ得」を許しては絶対にいけません。

日本の司法制度に不満がある様ですが、日本にいる時に日本の社会保障を受けておきながら、司法の判断には従わない身勝手はフランス人が大嫌いになりました。

会見に、偏向、反日メディアの朝日新聞を入れているのも、勘繰りたくなります。
日本人の敵は味方という事です。
日本はレバノン政府を援助しています。

2012年以降の我が国の対レバノン支援総額は約2億1000万ドルです。
恩を感じるなら?少しは強力して欲しいものです。
参考資料:https://www.lb.emb-japan.go.jp/files/000451316.pdf